本砲は三八式15糎榴弾砲(ホロ車の搭載砲)の後継として大正4年2月に制定された。
前者がドイツ・クルップ社製であったのに対し本砲は我が国独自の設計である。
当時は馬匹牽引のため輓曳重量過大が問題となっていたがこれを解決する方法として砲身・砲架分解運送方式を採用した。 第一次大戦の戦訓で射程増大が要求され、昭和5年に改造三八式野砲同様薬室容量を大きくし、装薬量を増して初速を増大するなどの正式改正を行いこれを改造四年式十五糎榴弾砲と称した。 しかし後坐効力の増大により砲架に弱点を生じさせ最強装薬射撃を制限する結果となった。
本砲は昭和8年の上海事変以降長期にわたり使用された。
諸元
口径:149.1mm 全長:2.190m 重量:885kg 弾量:36kg 初速:398.9m/s
最大射程:8.800m 砲列砲車重量:2.800kg
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